トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

知識の裏表

 携帯電話に関する学生たちの知識には毎度感心させられる。新しい機種が登場すると、機能や性能を従来の機種と比較して、たちどころに優劣を判定してしまう。わがゼミにも「ケータイ評論家」が常に1人や2人はいる。携帯電話に限らず、新しい情報の吸収には概して熱心だ。そのことに感心する一方で爺は思うのだ。この知識欲と研究心を新聞にも振り向けてくれないものかと。

 学生たちと話していると、時折、お互いに言葉の説明に深入りして、時間がたってしまうことがある。多くは私が「はぐる、とは何をめくるんだ」などと話の腰を折るのだが、相手もさるもの、「コキって何ですか」とわが弁舌をさえぎってくる。こんなことがきっかけで、話が本題から遠ざかっていくのだ。

 はぐる、とは、ハグ(抱擁)を日本語の動詞ふうに言い表したものであり、他方、コキは古希であり、数え年70歳を「古来稀(まれ)なり」と称賛したことに由来する。互いがそれぞれを理解するには、それなりの時間がかかるのはやむを得まい。

 気をつけているのは、知識の二面性である。学生たちがよく知っているのは、名前と実態が同時に目や耳に入ってきたものごとであり、知識の片側にすぎない。呼び名がわかってさえいれば、調べるのはさほどむずかしくはない。

Photo_13  例えば「添水(そうず)」とは何か、と問われたとする。どんなものかを知らなかったとしても、調べるのに手間はかからない。百科事典を開かなくても、インターネットでおよそのことはわかる。

 インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』は「水力により自動的に音響を発生する装置」として、仕組みや歴史を解説している。簡単に述べれば、斜めに立てかけた竹筒に流水を流し込み、水が一杯になると重みで筒先が下がって水を吐き出す。空になった筒が元の傾きに戻る勢いで台座の岩を打つ。その乾いた響きが鹿や猪を追い払う「猪脅(ししおど)し」のひとつだった。のちにその音を風流として楽しむようになり、日本庭園の装飾になった。代表的なものに京都・詩仙堂の添水がある=写真①。

 こうした知識を仮にAとしよう。これを身につけるのは、学生たちは比較的得意である。だが、これとは逆に、まず写真を示されて「これは何というものか」と問われたなら、どうだろう。

Photo_15  写真②を見て即座に答えるには、そのものを知っていなければならない。そのためには、日本の家具調度に詳しい人に聞くのが早いが、都合よくみつかるとは限らない。それに関する書物類をたどって、囲炉裏(いろり)の関連項目を調べなければならない。運よく挿絵に同じものがあれば、そこで「自在鉤(かぎ)」というものであるとわかるのだ。この知識をBとする。AとBは表裏の関係にある。

 こちらは学生たちにとって難題である。その種の訓練を経験していないのだ。どうやって調べればいいのか、どんな本に出ているのか、何を手がかりにすればいいのか。それがわからない。知らないことを調べる手順を知ることから始めなければならないのだ。

 当然ながら、爺は知識Bを重視する。長い目で見ると、他愛のない雑談から生まれるこんな知識が、ゼミの課題よりも役に立つかもしれないのだぞ。(2008.7.28.)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

すたすたすた

 野茂英雄が引退する。そう聞いてまず思い浮かべたのは、すたすたと歩く後ろ姿だった。

「トルネード(竜巻)」と呼ばれる豪快なフォームから繰り出す速球とフォークボールで三振の山を築いた快投とともに、メジャーリーグへの道を切り開いた開拓者としての功績が高く評価される。退路を断って日本のプロ野球界を後にし、腕一本でひとつひとつ実績を積み重ねた。その姿に魅せられた選手が次々に海を渡り、今日の日本選手隆盛につながった。

 それ以上に貴重なのは、野球好きの若者が野球を続けられる環境を作ることに情熱をそそいだことだ。長期不況のあおりで社会人野球チームが次々に休部に追い込まれた90年代に、米国の独立リーグチームの共同オーナーになって日本の若者にメジャー挑戦の機会を広げた。そのかたわら、自身がかつて所属した新日鉄堺を母体にしたクラブチーム「NOMOクラブ」をつくり、プロ選手も生み出した。無愛想だが常に正面から目標に立ち向かう姿が、多くの人を惹きつけた。

 近鉄バファローズ時代、福岡ドーム(現ヤフードーム)のマウンドからベンチへ引き上げる後ろ姿が目に焼きついている。ややうつむき加減に、無表情で、すたすたと歩く。相手の主力を三振に仕留めたときも、ノックアウトされたときも、姿勢や歩調に狂いはない。メジャーの球場でもその姿勢に変わりはなかった。無言の背中が実に多くのことを語りかけていた。(2008.7.22.)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

バイオ通り魔自滅

 猛毒の細菌をまき散らして女性を攻撃する通り魔が、ひとしきり当ゼミを席巻した。被害者続出でゼミ主宰者は対策を迫られているのだが、本人に犯行の自覚が乏しいため、有効な方法が見当たらない。

 発端は、梅雨明けを目前にした月曜日。ゼミの女子学生が発熱でダウンした。頭痛、続いて腹痛が襲う。ただの夏風邪ではないらしい。医師の診断は「インド風邪」。聞き慣れない名前を耳にしたメンバーがインターネットで調べたところ「インドから帰った旅行者が媒介する」という情報に突き当たった。

 となると、犯人は1人しかいない。昨年秋にインドを旅したT。ところが、ことの次第を告げられた当人いわく、「おれがインドにいたのは半年も前のことだ」。このあたり、事件を予告までする最近の通り魔のトレンドに乗り遅れている。

 その後も月曜日ごとに女子学生の被害が出る。症状はみな同じ。「そういえば」と、Tの饒舌に付き合わされていたという目撃情報が寄せられる。被害者が3人を数えた時点で、何の対策も打ち出せない主宰者に業を煮やしたメンバーがゼミのボイコットを真剣に考え始めた。

 そうこうしているうちに、最近の週末、当の本人が同じ症状に見舞われた。周囲のだれもが驚いたことに、T自身、何年ぶりかで医師のお世話にもなった。バイオ通り魔、今度は相手をみつけ損なったか、自家中毒の一幕。ゼミ生一同、T菌の毒の強さに、いまさらながら恐れおののいている。(2008.7.21.)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

わたしの人生こんなもの

 某月某日。1年生対象の演習説明会。来年度の2年次演習はこんなことをします、と紹介する集まりである。サークルの入部勧誘に限りなく近い。時間の制約があるので説明は資料に沿ってごく簡単に、という話だった。

 事前に提出した各ゼミの資料をまとめたプリントの「No.3」の冒頭に私のゼミ紹介文の後半がある。当然、前半は「No.2」だ。だが、それが見当たらない。資料類をひっくり返しているうちに私の番がきた。

 資料に基づこうにも手元になければしかたがない。書いたこととは別の話をして説明は終わった。席に戻りながら、何か話し忘れたようにも思ったが、気にもとめなかった。

 次のゼミの説明を聞きながら、見るともなく資料に目を落とした。ん? あるのだ、「No.2」が。魔法使いの仕業……ではなかった。それは「No.1」の裏に印刷されていたのだ。しかも、まっ先に目に飛び込んだのは、話しておきたかったことにつながるキーワードだった。

前世の記者時代にしばしば聞かされた言葉が耳に蘇る。「おまえは肝心なときに脇が甘い」。そうだよなあ。ま、いいさ。わたしの人生こんなもの。(2008.7.20.)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ブログを開始します

セイゴウ・ゼミの卒業生、在学生の皆さん!

お待たせしました。

いよいよセイゴウ先生のブログを開始します。

「どんな内容を掲載するのか」はたぶんこれから

検討されるcoldsweats01と思いますが、大学の話題や社会の

出来事など多彩に展開されると期待しています。

お楽しみに。(blogの天使)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2008年8月 »