知識の裏表
携帯電話に関する学生たちの知識には毎度感心させられる。新しい機種が登場すると、機能や性能を従来の機種と比較して、たちどころに優劣を判定してしまう。わがゼミにも「ケータイ評論家」が常に1人や2人はいる。携帯電話に限らず、新しい情報の吸収には概して熱心だ。そのことに感心する一方で爺は思うのだ。この知識欲と研究心を新聞にも振り向けてくれないものかと。
学生たちと話していると、時折、お互いに言葉の説明に深入りして、時間がたってしまうことがある。多くは私が「はぐる、とは何をめくるんだ」などと話の腰を折るのだが、相手もさるもの、「コキって何ですか」とわが弁舌をさえぎってくる。こんなことがきっかけで、話が本題から遠ざかっていくのだ。
はぐる、とは、ハグ(抱擁)を日本語の動詞ふうに言い表したものであり、他方、コキは古希であり、数え年70歳を「古来稀(まれ)なり」と称賛したことに由来する。互いがそれぞれを理解するには、それなりの時間がかかるのはやむを得まい。
気をつけているのは、知識の二面性である。学生たちがよく知っているのは、名前と実態が同時に目や耳に入ってきたものごとであり、知識の片側にすぎない。呼び名がわかってさえいれば、調べるのはさほどむずかしくはない。
例えば「添水(そうず)」とは何か、と問われたとする。どんなものかを知らなかったとしても、調べるのに手間はかからない。百科事典を開かなくても、インターネットでおよそのことはわかる。
インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア』は「水力により自動的に音響を発生する装置」として、仕組みや歴史を解説している。簡単に述べれば、斜めに立てかけた竹筒に流水を流し込み、水が一杯になると重みで筒先が下がって水を吐き出す。空になった筒が元の傾きに戻る勢いで台座の岩を打つ。その乾いた響きが鹿や猪を追い払う「猪脅(ししおど)し」のひとつだった。のちにその音を風流として楽しむようになり、日本庭園の装飾になった。代表的なものに京都・詩仙堂の添水がある=写真①。
こうした知識を仮にAとしよう。これを身につけるのは、学生たちは比較的得意である。だが、これとは逆に、まず写真を示されて「これは何というものか」と問われたなら、どうだろう。
写真②を見て即座に答えるには、そのものを知っていなければならない。そのためには、日本の家具調度に詳しい人に聞くのが早いが、都合よくみつかるとは限らない。それに関する書物類をたどって、囲炉裏(いろり)の関連項目を調べなければならない。運よく挿絵に同じものがあれば、そこで「自在鉤(かぎ)」というものであるとわかるのだ。この知識をBとする。AとBは表裏の関係にある。
こちらは学生たちにとって難題である。その種の訓練を経験していないのだ。どうやって調べればいいのか、どんな本に出ているのか、何を手がかりにすればいいのか。それがわからない。知らないことを調べる手順を知ることから始めなければならないのだ。
当然ながら、爺は知識Bを重視する。長い目で見ると、他愛のない雑談から生まれるこんな知識が、ゼミの課題よりも役に立つかもしれないのだぞ。(2008.7.28.)
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