映画『靖国 YASUKUNI』を観た
福岡へ出かけて、話題の映画『靖国 YASUKUNI』を観た。前期のマス・コミュニケーション論Ⅰの授業で取り上げた手前、すぐにでも観ておかなければならなかったのだが、持病の「そのうち症候群」の長患いでこの時期になった。
映画自体は、敗戦の日の8月15日に靖国神社の境内にやってくる雑多な群像をとらえたドキュメンタリーである。それ以上でも以下でもない。作品が反日的かどうかは、観た人それぞれが認識と感性で判断すればいいことだ。私自身は、そこまでの強いメッセージは受け取れなかった。
あらためて思う。この映画の上映中止騒ぎは何だったのか。動きを振り返ると、無知・無自覚と思い違いや見込み違いの連鎖が浮かび上がる。
まず、お粗末な国会議員たちである。「反日映画」「国の助成金が問題」という週刊誌情報に飛びついて右寄り議員グループに試写を要求した稲田朋美議員(自民)は、憲法違反の事前検閲を指摘されると「新聞が問題をすり替えた」「上映を止めろとはいっていない」と茶番を演じた。助成金の適否を調べる名目の試写こそが事前検閲にあたるという認識はない。
国会で質問した有村治子議員(同)に至っては、自身の言動が事実を捻じ曲げたことに対する自覚すらない。映画の主要人物である刀匠に直接問い合わせて引き出したコメントを李纓(リ・イン)監督の約束違反に仕立てて質問の核にした。映画を観ればわかることだが、かの刀匠は問われたことに即答しない人物である。その彼と電話で話しただけで、出演場面の削除を求める発言が出てきたのだとすれば、誘導尋問以外にあり得ない。
上映予定の映画館に街宣車を差し向けた右翼団体も、脅し電話を呼びかけたネット右翼の面々も、その時点で映画を観てはいなかった。中国人監督、反日、助成金、国益といった情報の断片が、検証もないまま一緒くたになって上映禁止に向かったことは疑いない。
きっかけを作った『週刊新潮』はどうか。得意の「問題提起」のひとつではあろう。その限りではジャーナリズムを逸脱したとはいえない。気をつけなければならないのは、この雑誌が中国や韓国、北朝鮮を取り上げる場合に独特のフィルターがかけられることだ。危機にあたって国家が言論を規制しようとするとき、まっさきに権力に擦り寄って旗振り役を買って出るのはこの手のメディアだろう。
『靖国 YASUKUNI』をめぐる動きは、3月の国会議員を対象にした試写会を境に、めまぐるしく変転する。街宣車、圧力電話、上映中止、ネット上の検閲論議。そして、右翼団体の試写会で騒ぎは終息した。皮肉なことに、騒動が話題になったおかげで、上映希望が殺到し、客の入りも上々だと聞く。
上映中止騒ぎの当初、作家・映画監督の森達也は朝日新聞への寄稿で、いまの日本を「過冷却社会」と名づけた。それぞれが極限の緊張状態にあり、ひとつの力が加わると、一斉に同じ方向に走り出す。そのため、人物やものごとに対する評価が一夜にして180度変わりやすいという趣旨だった。その後の経過を含めて上映中止騒動を眺めるにつけ、慧眼(けいがん)に敬服する日々である。(2008.8.10.)
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コメント
過冷却社会とはうまいこと言ったもんだ。
ちなみにWeb上では久しい以前より、少数意見がどんどん顧みられなくなっていく現象を「サイバーカスケード」と呼んでおるようです。「沈黙の螺旋」に近い概念ですな。こういう横文字を授業で使うと、なかなかそれっぽく聞こえてよろしい。
投稿: はかせ | 2008年8月13日 (水) 08時57分
はかせさん
サイバーカスケード? 滝の小流れであるか。こじゃれた表現じゃのう。内容に似つかわしくはないが、なにやら情報の先端を行くようで。あ、いかん、いかん、言葉の響きに惑わされたのでは加齢臭を撒き散らすことになる。
投稿: アン爺 | 2008年8月13日 (水) 22時38分