不向きと大成
落語家柳家小三治は、いわゆる玄人好みの噺家(はなしか)である。すきのない話芸は当代随一とも評される。早世した古今亭志ん朝のような天才肌ではないが、客席の空気を読み取る抜群の嗅覚と練り上げた話術で不動の地位を築こうとしている。
二つ目(寄席で前座の次に高座に上がる中堅どころ)時代に注目され、テレビで人気が出た。ある日、師匠の5代目小さんに稽古(けいこ)をみてもらった。聞き終えた師匠、ぼそりと「おまえの噺はおもしろくねえな」とつぶやいて席を立った。全否定である。どこが、どう、の段ではない。言われた当人は茫然(ぼうぜん)とするほかなかった。
小三治は元来生真面目である。おもしろみのないやつ、といおうか。八方破れがごろごろしている落語の世界では異色である。それを意識するあまり客を笑わせようとしてしまう。そこに芸が崩れる原因があったと気づくまでに時間がかかった。
試行錯誤の末にたどり着いたのは、笑わせるのではなく自身がつい笑い出す噺だった。ここから壮絶な苦闘が始まる。覚えた150ほどの演目を洗い直し、一語一語を吟味して無駄な言葉を削っていった。いま、いつでも高座にかけられる噺が30はある。
歌舞伎俳優の中村勘三郎は才気煥発(かんぱつ)、子役時代から、どんな難役も体当たりでこなしてきた。だが、どうしても越えられない壁があった。身長が足りない。主役の男優としては致命的である。どうすれば舞台で大きく見せられるか。悩んだ。工夫した。それでも足りずにジャンルを超えて、新喜劇やミュージカルに挑んでもみた。
昔の芝居小屋を再現した「平成中村座」や海外公演といった新しい試みを次々に手がけるかたわら、埋もれていた演目を発掘して舞台にかけもした。その積み重ねがいまの「歌舞伎で最も客を呼べる役者」という評価を手繰り寄せた。
小三治が師匠のように、そこにいるだけで笑いを誘う個性の持ち主だったら、勘三郎が堂々とした偉丈夫(いじょうふ)だったら、それぞれの持ち味は現在とは違ったものになっていただろう。大きなハンディを背負っていたからこそ、他人に真似のできない努力をし、結果としてその道の頂点に立つ存在にまで成長したといえる。
いま、若者が仕事を選ぶとき「自分に向くかどうか」が大きな要素だという。それが判断材料のひとつであることは否定しない。だが、向き不向きが簡単にわかるものではないことも事実である。まずは飛び込んで、その場で工夫し努力することが大事なのだ。
実例は身近にもあるぞ。Jeeの前職は記者である。向きでいえば、だれが見てもミスマッチだ。内向的で口べた、人見知りが激しい。それでも長年、結構楽しくやってきた。大成はしなかったけれど。向き不向きは、前もって心配するほどのことではない。(2008.11.2.)
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コメント
なるほど。
加えて言えば、向き・不向きなんてのは、自分で決めるよりも他人が評価する性質のものではなかろうかと思う次第。
「オレ/ワタシ的にはがんばった」なんて言葉もそうですが、たいして努力や工夫もしないであきらめる口実として「向いてない」という言葉が使われておるように思うのですよ。
投稿: はかせ | 2008年11月 6日 (木) 20時01分
はかせさん
その話で思い出した。最近、テレビ局の社長と飲んだとき、彼が言っていた。いま、地デジ移行で設備投資に巨額の資金が必要なのだけれど、こんなときこそカネのかかる仕事に挑戦するチャンスだ、と。
こういった発想はJeeにはないな、残念ながら。この種の思考回路が経営者向きというのかもしれんのう。
投稿: アン爺 | 2008年11月 9日 (日) 01時03分
先生からそんな感じのフレーズ何度か聞いた事あります僕。
むしろ不向きの方がイイのかもしれませんね。
不向きじゃないと出来ない事あるかもしれませんね。
そんなかんなで頑張ります!
投稿: ふぁべい | 2008年11月 9日 (日) 02時26分
ふぁーべいさん
最近発見したのであるが、ふぁーべいは「間(ま)」の取り方が意外にうまい。案外、接客業にも向いているかもしれない。武闘派接客術!?
投稿: アン爺 | 2008年11月 9日 (日) 12時29分
武闘派接客術!?
って事はSM!?
視野に入れてみます!笑
投稿: ふぁべい | 2008年11月11日 (火) 02時01分
言っても詮無いことなれど、古今亭志ん朝が生きていればどんな味を出すようになっただろうと時々思うのです。
このブログ、おもしろくてしばしば閲覧しています。
投稿: もりこ | 2008年11月18日 (火) 20時45分
もりこさん
今後もよろしく。志ん朝存命ならまさに古希。うーん、どんな味でしょうねえ。個人的には少し枯れた「三枚起請」あたりを聴いてみたい気がしますが、ここは、はかせさんの出番ですなあ、
投稿: アン爺 | 2008年11月19日 (水) 00時03分
呼ばれたので飛び出てみました。
個人的には、あの謡い調子がもっともっと軽いものになって、
明るい噺、短い噺に収斂していったのではないかと思っております。
たとえば三枚起請なんかも、最後に次々と男たちが顔を出すところなんぞ、しみじみおかしい噺になるのではなかろうか。
少なくとも、昨今の「年末なんだから芝浜を聴いて感動したい」という、実に鼻持ちならぬ風潮からはひらりと体をかわしたのではないかと思います。
個人的には、付け馬が特に好きでしたが、存命なら愛宕山なんて最高に似合う噺になってたかもね。
投稿: はかせ | 2008年11月19日 (水) 20時06分
はかせさん
ははあ、ひらりでどぼん、ですか。するってえと「愛宕山」の後味なんざあ志ん生にずいぶん近づくけれど、やはりどこか現代の香りがしそうですなあ。
投稿: アン爺 | 2008年11月20日 (木) 01時45分
せんせいーーーーお久しぶりですo(*^▽^*)o
この話、まるで自分(?)?!かしら。。
就活で「好き」より「合う」を選んだ結果、もうすぐこの会社で3年目です。。(^^)
エヘヘ
投稿: ななえ | 2009年2月 2日 (月) 19時09分
やっほー、ななえさん
ほんとにしばらく。もう3年になるのかねえ。元気でやってるようで、まずはめでたい。
仕事でいろいろ苦労もしただろうが、もともと努力家なので、暗くはならないだろうと楽観してました。
雑用が重なって、ブログもこのところ更新ませんが、近く再開をめざしてまっす。
投稿: アン爺 | 2009年2月 2日 (月) 20時12分