大仏異聞
歌舞伎の松本幸四郎が「勧進帳」の上演1,000回を記念して、奈良・東大寺で奉納歌舞伎を演じて話題になった。演目の「里帰り」である。源平合戦のヒーロー源義経が兄頼朝に反旗を翻(ひるがえ)して逃亡する途次、安宅関(あたかのせき=現石川県小松市)で見とがめられるが、弁慶の機転で難を逃れる話だ。「忠臣蔵」と並び、時代を超えて庶民を熱狂させてきた。
弁慶が即興で読み上げるふりをした勧進帳は、東大寺の大仏を修復するための寄付集めの趣意書である。史実によると、1180年、平氏の焼き討ちにあって大仏は損傷し、僧重源(ちょうげん)の精力的な寄付集めで修理された。安宅関のドラマはこの時代に設定されている。大仏は戦火や事故で計3度傷ついた。現在の高さ15mの姿になったのは江戸時代のことだ。
大仏が造られたのは勧進帳一件の400年余り前、聖武天皇時代である。これにはこれで、虚実とりまぜた多くの物語がある。イチ押しは仙人の復活話。前置きが少し長くなるけれど。
久米の仙人と聞けばニヤリとする方もあろう。エラーい人物だ。どのぐらい偉いかというと、沖縄では泡盛の銘柄に名を残しているのだ。「久米仙」。しかも産地は琉球王朝の王府・首里(那覇市)と久米島の2カ所が競合している。これで偉くないわけがない。
その仙人が葛城山へ向かって飛行中に見下ろすと、吉野川で若い娘が洗濯していた。裾をからげた娘の白い脛(はぎ)が目にはいったとたん、神通力を失って仙人は河原に墜落した。この話はさまざまな場面で引き合いに出され、兼好法師も「徒然草」に書き留めている。
墜落事件で世間の笑い物になった久米の仙人だが、ただ一人、笑わなかったのがその娘で、まあ、それほどに、と言ったかどうかはわからないが、ともかく二人は熱い間柄になり、里でひっそりと暮らした。
時は流れて、東大寺に大仏殿を造営する話が持ち上がり、二人の住む里に朝廷から木材運び出しの命が下った。人々の苦役を見かねた元仙人は、修行をし直して7日で神通力を取り戻し、8日目に一瞬で木材を運び終えた。こちらは12世紀の説話集「今昔物語集」に登場する話である。
久米の仙人のその後については諸説ある。愛妻と添いとげた、いや、天界に復帰して勢威を誇った、いや、……。
大みそか。除夜の鐘が響く。「久米仙」を味わいながら大仏や大仏殿に思いを馳せるのもいいぞ。日本の古代史から中世史、文学史、芸能史、そして精神史、宗教観まで、思考は仙人のように飛ぶだろう。(2008.12.25.)
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